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熊野果無山脈

 熊野という土地は、知れば知るほどいろんな表情を見せ、私の興味を引きつけてやまない。それはこの土地が先人によって崇められ、大切に守り続けられてきたからだろうと思う。路傍の石や、生い茂る葉、それらの存在一つ一つが、まだ神々と人間が仲良く存在していた昔の物語を秘めていて…言葉には言い表せぬほどの感慨深さがある。
 今回は日本神話の観点から熊野を見直し、先人がこの地の何を信じ、何を道しるべとして過ごしっていたのか調べてみた。素人趣味の域を出ない仮説だらけのコラムだが、これをきっかけに少しでもいにしえへのイマジネーションを抱いてもらえれば幸いである。またもしあなたが熊野を訪問することがあったら、これらを思い起こし、少しでもその旅に色を添えるものであれば幸いである。

1.「死と再生の地」

 先人にとって、死はやがて来るべきものではなく、与えられるべきものだったようだ。それは「古事記」のヌナカワヒメというお姫様がヤチホコ(=オオクニヌシの別名)にプロポーズされた際に、贈った歌からも分かる。


 青山に 目が隠らば ぬばたまの
 夜は生でなむ 朝日の 咲き栄えて来て

 「青山に太陽が沈んだら夜が来るよ、そしてまた朝日が出てくるよ」、大筋に解釈すればこのような意味になるだろう。しかしまたなんでこんなことをわざわざ歌にする必要があるのだろうか。大いに首をひねりたくなるところだが、よくよく読めば「夜は生でなむ」という箇所が不思議だ。「夜は来る」ではなく「夜は生まれる」になっている。古代では太陽が姿を消す夜という世界は、死そのもの、あるいは死者が住まう冥界と考えられていたそうだ。夜闇にネガティブなイメージを持つなら、このような表現はまずしないだろう。にもかかわらず、夜を「生まれる」と言ってしまうところに、先人のアンチ的な死生観がうかがえて面白い。つまり先人は、死をネガティブに捕らえていなかったということになるのだ。


 だが、太陽の一日のサイクルを、人間のそれになぞらえてみれば、彼らの思想は、ごく自然に生まれた思想だといえる。太陽は山へと沈み、また山からあふれんばかりの光をたたえて顔を出す。その死と再生のサイクルは絶えることなく、揺るぐことなく普遍的に続くのである。そう考えれば、死(日没)は忌み嫌うべきものではなくむしろいつかは再生(日の出)へとつながるということになる。そう、死の世界からあらゆるエネルギーは再生するのだ。
 先人は、こうして自分を取り巻く自然の摂理や環境に自らをなぞらえることで、自分という存在がどこから来て、どこへ消えていくのか、一つ一つ学んだのである。そしてそれらは、自然への畏怖や敬意となり、やがて、太陽信仰や、山岳信仰、カンナビ信仰などの自然信仰へとつながっていったのだ。
 ところで熊野の地は、そのような自然信仰がさかんな古代で、どのような存在であったのだろう?

2.「根の堅州の国」へつづく

 
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