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熊野果無山脈

2.「根の堅州の国」

 「古事記」(日本最古の口誦文学といわれる書物)によると、熊野には「根の堅州の国」の出入口があると考えられていたようである。根の堅州の国とは、黄泉の国のような地下世界のことであり、あらゆる生命エナジーの根源を宿す世界とされていた。むろん古代の人々が崇めたあの太陽も、一日の終わりには根の堅州の国へと入り、一日の始まりにはまたそこから出てくると考えられていた。

 この「根の堅州の国」はいつ頃生まれたものなのだろうか。「古事記」にはそこらへんのことは何も言及されていないが、熊野が現世とは世界を別とする異界という発想は、「古事記」よりはるか昔からのものだということは、まず間違いないだろう。それは、なぜ熊野が「根の堅州の国」となったのか、という理由を考えてみれば明白だ。
 まず一つは熊野の土地そのもののイメージ。熊野の地名の由来はクマグマシイ[隅々しい]という言葉から来ているそうだ。隅々しいとは樹木が鬱蒼と生い茂り、人間が容易に踏み込めない様をさす。日本神話の書物の中で、子を数える数詞を[木]で表現し、また神を数える数詞を[柱]という言葉で表現したことからも分かるように、先人たちは、人や神は土の中から植物のように生まれてくるものだと考えていたようだ。[隈々しい]という熊野は、それだけで祖霊が鎮まり、やがては神となる土地として、よほど先人たちに神聖視されたに違いない。
 そしてもう一つは、熊野のロケーションにある。熊野は太陽神アマテラスが住まう伊勢神宮から見ると、ちょうど西の方向である。そう、日没の位置にあたるのである。前章でも述べたが、古代では太陽のサイクルを人間の生死のサイクルに見立て、日没を死に例えていた。
 この[隈々しい]土地を神聖視する風習や、太陽の運行メカニズムを神聖視する風習は、縄文時代にさかんだった太陽信仰の顕れである。これで「根の堅州の国」の起源が縄文まで遡る古いものだということが分かるだろう。

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3.「熊野の神が最初に降りた場所」

 ところで、わたしは「根の堅州の国」の起源を探り、縄文の太陽信仰と伊勢神宮との関連性について調べようと地図を広げているとき、非常に興味深いことを発見した。それは、伊勢から紀州の広い範囲にわたって、大規模な太陽計測があったことを思わせる地名の存在である。ちなみに太陽計測とは、夏至や冬至や日出や日没などの太陽軌道を測り、それらの位置に巨石などを置いた祭祀場を設ける縄文期の風習で、沖縄諸島に残るウディダ石などが有名である。
 

 熊野には「日置」という地名がある。地名由来に関する辞典によれば、日置の地名がつく場所には、たいがい日没と何らかの関連がある場合が多いらしい。考えるまでもなくわたしは、この「日置」という地名は、伊勢神宮から見た場合の「日置」だろうと思った。そこでわたしは、日の出や日没の位置から島を串刺しにして直線の交わるとっころに石を置いた、という沖縄のウディダ石のことを思い出し、地図上で伊勢神宮と日置を直線で結んでみた。するとどうだろう。その直線の真ん中に位置するところに、新宮市の神倉神社があるではないか。この神社には、ゴドビキ岩という巨石が、御神体として祀られている。わたしは思わず、「これだ!」とにやりとしてしまった。


ゴトビキ岩からの眺望
 ゴトビキ岩が祀られている神倉神社の境内は、険しい階段(半端じゃなく険しい)を登り切った山上にあり、実際行ってみればすぐに分かるが、そこからは海も山も見渡せて非常に見晴らしがよい。ゴトビキ岩はまるで巣籠もり卵のように、社の裏手にどしんと鎮座していて、今にも山から転げ落ちるのではと怖くなるほど凄みがあり、社殿を押し潰しかねないほどの強烈な存在感がある。一目見ただけで、神が巨石を依り代にして天降ったという言い伝えを感じてしまいたくなる。先人たちは、この見晴らしのよい高台から、海を眺めて季節をよんでは船乗りの頃合いを決めたり、日の位置を確認しては作物の実り具合などを占ってみたりしたのだろう。
 弥生時代の祭祀場でよく発掘される銅鐸が見つかったことから、このゴドビキ岩の信仰は、相当古いものだと言われているそうだ。これらの太陽計測の事実で分かってくることは、聖という語源が[日知り]、つまり太陽の運行のメカニズムを知るもの、という意味から来た言葉ということにも示されているように、先人がいかに太陽を大切に考えていたかということである。わたしはこのゴトビキ岩に代表される太陽信仰を掘り下げていくことが、古代の熊野の地を知る上で一番の近道だと思った。
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大斉原(旧大社跡地)
  4.「根の堅州の国の王者─暴君スサノオ」

 熊野の森のすべての信仰は、縄文時代のゴドビキ岩の太陽信仰から始まり、やがてあらゆる民間信仰と共生し、あらゆる神を認め、アミニズム的要素を色濃く残しつつ発展した。その結果、神も仏もないまぜにした、神は決して一神ではない、という熊野独特の壮大な八百万信仰が生まれたのではないだろうか。しかも、世界平和という言葉すらまだ生まれていないほどの早い時代に。

 わたしがそう思う理由の一つに、木の国(紀伊の国)の「根の堅州の国の王」スサノオの存在が挙げられる。
 スサノオと言えば、神話の中でも異端の神様として知られている。古事記にそれほど詳しくない人でも、その名前や彼にまつわる数々のエピソードだけは聞いたことがある、という人は多いだろうと思う。
 わたしは、この神様が古事記の中で一番好きだ。とにかくスサノオは神とは思えぬほど感情的な性格なのだ。うさ晴らしに姉の宮殿にクソをまき散らす、父の命令が気にくわないと、いい年のおっさんになるまで延々と獣のように泣きわめき続け、仕事らしい仕事をしない。暴力沙汰を起こす。このあまりの狼藉ぶりに怒ったアマテラスはついに彼を高天原から追放するのである。
 しかし、スサノオという神は、こんなふうに日本最古のアナーキストでありながら、その一方で民衆のために八岐大蛇退治という偉業を為し遂げるなど、英雄としての顔も持っていたりする。他の神には見られないこの支離滅裂な多面性ぶりが、わたしはたまらなく好きだ。
 姉のアマテラスは、高天原を治める偉大な最高神となり、二番目の姉ツクヨミは、夜を治める神様となる。二人とも、立派な役職を与えられてるのに、弟スサノオが根の堅州の国の王とは、二人の姉に比べかなりの格下げじゃないか?いやいや、彼はせっかく海の王の座を父から与えられたのに、黄泉の国の王になりたいと見向きもせず、その結果、黄泉の国とつながる根の堅州の国の王となったのである。彼が黄泉の国にこだわったのは、彼の母親の存在が関係している。

5.「古事記と国家勢力の思惑」へつづく

 
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