>>>R42と熊野巡礼の旅INDEX

人間のスピードに帰ろう。原始に帰ろう。

私達現代人は、己の足を使って歩く以外に様々な移動手段を手に入れた。そのため、人間は”二本の足で立ちあがって歩く”事を忘れてしまっている。私達人間は、”立って歩いた”事により、多くのものを手に入れた。文化、文明、いのち、そして現在。人間にとって一番基本的で大切な”歩く”という行為をもう一度見直しませんか?無心に歩いて、歩いて、人間としての、地球上の生物としての己を思い出しませんか?

「第1回ウォーキング・メディテーション in 熊野」

2003年5月2日 「牛馬童子口〜小広王子」編

●タイムスケジュール

8:00   車で滝尻王子まで移動。滝尻王子へ詣ってから乳岩・胎内くぐりまで登る。

8:30   滝尻王子まで引き返し、車で牛馬童子口まで移動。

9:00   牛馬童子口から小広王子まで歩く。途中昼食休憩。

15:00   小広王子からバスで牛馬童子まで移動。田辺へ。

●熊野古道ウォークコース

滝尻王子→乳岩・胎内くぐり--(折り返し)→滝尻王子
--車で移動--牛馬童子口→近露王子→比曽原王子→継桜王子・野中の一方杉
--(昼食)-- →秀平桜→中ノ河王子→小広王子

距離約10km 所要時間約6時間

●ウォーキング・メディテーションのこころえ

本来人間の持つスピードを思い出すために無心で歩く。自然に五感を研ぎ澄ませ、自然に身を委ねて心身共に”熊野”になりきる。

●持ち物

リュックサック(ナナオ・サカキにならえ)携帯用灰皿、ゴミ袋


今回は剣ノ山越えを試み、滝尻王子から登山道へ入りましたが、思っていたよりも険しい山道だった為断念し、乳岩・胎内くぐりまでで折り返しました。ガイドブックには、「己の右手(?)を掲げたような急な峠」とありましたが、本当にそんな感じでした。どうせ熊野古道を歩くのなら、ここから霊域だとされる滝尻王子から峠を越し、順路通り(昔の人が辿った道順通り)歩きたかったのですが、何しろ甘く見てそれなりの準備をして挑まなかったし、このコースは途中でしんどくなってもリタイアできないコースになっていたので断念しました。でも絶対にこの峠は制覇するつもりです。

滝尻王子
熊野九十九王子のうちで最も重要視された王子の一つで、社格の高い五体王子であった。川の合流点にあたり、古道は背後の剣ノ山へ登るが、ここが熊野の霊域の入り口とされていた。参拝者は川で禊をし、社前で経供養や里神楽が行われ、後鳥羽上皇は和歌会を開いた。

乳岩・胎内くぐり
滝尻王子社の左側から熊野古道の階段を登り、急な坂道を行くと古道に沿って横たわる巨石がある。その石には人ひとりがやっと通れるくらいの穴(男性はちょっと無理です)が開いていて胎内くぐりと呼ばれている。この狭い穴をくぐり抜けてると穢れが落ち、願いごとが叶うと言い伝えがある。私もさっそくトライしてみましたが、奥に入る程狭くなっていて最後は這って出なければならない具合だった。(ちなみに私は小柄な方で身長は150cmでかなり細身です)また、その上方に奥州平泉の豪族藤原秀衡にかかわる伝説の乳岩がある。秀衡夫妻が熊野詣での途中、夫人がここで産気づいて男児を出産し、この岩穴に残して参拝を済ませて戻ってきてみると、男児はオオカミに守られて岩からしたたる乳を飲んで成長していたと伝えられている。

●牛馬童子
箸折峠の宝塔のそばに牛馬二頭の背にまたがった僧服姿の石像があり、花山法皇の熊野詣での旅姿であると言われている。めずらしい石像。思ったよりも小さくてびっくりした。


牛馬童子へとつづく林道。

●近露王子
牛馬童子を過ぎて歩いていくと、急に目前に近露の集落が開けてくる。こじんまりした集落だけど、本当に美しい村だった。近露王子は最も早く現れた王子の一つで、鎌倉末期の熊野縁起では准五体王子にあがっている。参拝者は古くから川でみそぎをするのが習いであった。境内には杉の巨木があったが、明治末期に廃社になり今は近露王子之後と刻んだ自然石の碑が見られる。


この辺りでよく見かけた植物。一見食虫植物だが違うみたいだった。
同行していた一人はこんにゃくの木ではないかと言っていたがそれも違うみたいだった。

※後に調べた結果「マムシ草」という植物だと解った。


近露には古い民家が沢山残っていた。これはバスの停留所みたいだった。


私達が行ったのは5月でつつじが満開だった。


●比曽原王子
車道のわきの山の斜面、杉の木のもとに緑泥片岩の比曽原王子の碑がある。これは江戸中期にすでに社殿がなかったため建てられたものである。江戸時代には近くに手枕の松という名木があって文人たちの注意を引いていたようである。


至る所で咲いていた白くて小さな花。花の絨毯みたいで綺麗だった。
なんていう花だろう?


りっばなシダの葉っぱ。太古から変化をせずにずっとここで
生息しつづけているみたいだ。

●継桜王子(野中の一方杉)
野中地区の氏神でもある王子社で、社殿は石段の上にある。境内の斜面に一方杉(枝が一方側からしか出ていない)の巨木が10本ほど現存し、県指定の天然記念物である。地元の人によると、その木はもう何年も前から死にかけていて、木の表面を触るとぼろぼろと皮が剥げるほどらしい。それにしても立派な巨木だった。大人が4人がかりで腕を広げても囲みきれないほどだった。私達は長めのいいこの場所で昼食にした。王子の前の断崖の下に日本名水百選の「野中の清水」がある。

●中の河王子
車道の上方の山中に「中川王子」と刻んだ緑泥片石の碑がみられる。かつては熊野参詣道がここを通っていたらしい。この王子に行くには細い山道を暫く歩く事になるが、道の途中に猪が食荒らしたと思われるタケノコの皮がたくさん落ちていた。植林が多いとは言えまだまだ自然は残っているのだと感じた。


比曽原王子から継桜王子までの道。石垣の上には民家があった。

●小広王子
車道の小広峠の道端に上部の折損した緑泥片石の小広王子碑が建てられている。明治の道路改修以前はもとの高い峠の上にあったものである。この王子は中期の記録には見えない。


景観を損ねないように工夫された砂防ダム。

ここで私達のウォーキングメディテーションは終りました。5月とは言え日射しがきつくアスファルトの道が多いこのコースは少々だるかったです。帰りのバス待ちも大変でした。でもやっぱり歩くのは楽しい!


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