地球という神秘なグラウンドで、人間の魂を健全に保つために様々な分野から呼び掛けていきます。大袈裟な題目がついていますが、要はどうでもいい事を徒然なるままに綴っています
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Location 精神世界商店INDEXアニミズム>98.07.04



 

ボヘミアン・ライフ・シンドローム

 日本は基本的に自堕落を好まない人種だと、わたしは思っている。プライドが高いのだろうか、それとも働き者なのだろうか。とにかく身持ちを崩して、彷徨うことが苦手だ。
 坂口安吾ごとく『堕落』を賞賛する自堕落人間のわたしは、この国のそういう生真面目さと律儀さが、奇妙で不条理に思えてならない。そこに真実があるならまだいい。でもそんなものは、見ている限りない。訳も分からず、麻疹のような毎日を、ただヒステリックに、ナーバスに過ごしているだけだ。
 わたしは社会人間の切符を買い損ねたままの人間である。
 20歳の春、周りの友人たちが、真新しいスーツを着て、真新しい社会生活をスタートさせる中、就職先が未定だったわたしは、たった一人、学生でもない、社会人でもない、あやふやな生活をスタートさせた。目まぐるしく動き続けている周りに、これ以上の遅れをとってはいけない、と必死で職探しに奔走する毎日だった。
 しかしある時、ふと立ち止まってしまった。原因は未だに何なのか分からない。気を抜いた一瞬の隙をついて、何かが自分の中に潜り込んだような、あるいは逆に何かが自分の中から飛んで行ってしまったような、そんな感じだった。周りを見回してみると、みんな一生懸命働いている。わたしもぐずぐずしてはいけない、そんな焦りとは裏腹に、立ち止まったわたしの足は、動かなかった。
 わたしはそのまま周りを眺め続けるだけの毎日を過ごした。そこには自分だけの時間が用意されていて、わたしは戸惑いながらそこに身をゆだねた。何もかもがゆっくりと流れている。昼の太陽で目を覚まし、何もしないで夜を待つ。すぐにわたしはその毎日に馴染んでいった。だけど時々、わたしの心を乱すものがあった。それは自分がとんでもない深みにはまり、堕ちていっているということへの不安だった。自分はこれからどこへ行くのか、どこへ向かっているのか、哀しいくらい、自分のことが分からない。
 それはこれまでの人生で感じたことのない不安だった。周りが作ってくれたレールに沿って、ただ走り続けていれば良かった学生時代を送ってきたのだから、それは当然のことだった。レールは自分で敷いてゆかなければならない。自分の人生に対する全ての権限は、自分自身にある。何かを捨て、また選ぶのは、自分の仕事だ。そんな当たり前のことを、わたしはこの時まで知らなかった。わたしは心の準備がないまま、突然自我と向き合わなければならなくなったのだった。
 わたしは答えのようなものが知りたくて、ひたすら街を彷徨い歩いた。期待していたものとは全く違う答えがそこにあり、わたしは驚いた。進み続ける世界の中に、もうひとつ澱んだ混沌とした世界がある。路上の世界だ。
 オフィス街の公園でゴミをあさっているホームレス、通勤ラッシュの地下鉄のホームに座り込んで、電車を何度も見送っているサラリーマン、夜の深さと冷たさが降りた駅にわけもなく集まる若者たち。彼らはわたしと似ていると感じた。何一つ持たず、何ものでもない自分に戸惑いを感じているような彼ら。動き続ける人々の呆れ返った視線の中に、それでも彼らは立っている。
 わたしは走り回っている素敵な人々と、ぼんやりと彷徨っている人々を比べてみた。どちらが羨ましいとも思わなかった。言い換えてみれば、どちらも同じくらい自分が見えていないような気がした。結局どちらも同じなのだと思った。
 大切なのは周りに惑わされず、煩わされず、本来の自分の歩くペースを掴むことだ。みんな自分を見失っていやしないか?もっともっと堕ちていけば、それがどうしてなのか分かるかもしれない。怠け者でもいいじゃないか。何ものでもない虚無な人間でいいじゃないか。染まりたくないものに染まるより、よっぽど健全ではないか。
 最低な自分の向う側にこそ、本来の自分がいる。わたしはそう強く感じた。
 「彷徨える自堕落」、それこそ最高の自分探しなのだ。

文:ナオコ

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