地球という神秘なグラウンドで、人間の魂を健全に保つために様々な分野から呼び掛けていきます。大袈裟な題目がついていますが、要はどうでもいい事を徒然なるままに綴っています
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Location 精神世界商店INDEX文学と哲学>2003.06.02



 

NAOKOプレゼンツコラム

メメント・モリ〜死を想え

(2003.05.23〜06.02までの偽エサレン研究所滞在中に書いた散文)


 墓場を平気で歩けるようになった。恐くて夜に仏間に入ることができなかったこのわたしがである。
 墓場に眠る魂たちは、ただ静かにそこに眠っている。苔むしてひび割れた古い墓標は、生きていた証を
わたしたちに示すというよりは、長い時間の中で死はやがて風化しゆく現象だと諭しているように思われる。手向けられた花に群がる蜂や、供え物に群がる黒い蟻はどこまでもたくましくけなげである。あの小さな生命は、死を故人と分かち合う分、人間様よりも強いのかもしれない。
 数カ月前、Fさんという初老の男性が働いている病院に入院してきた。彼とは一度も面識がなかった。彼についてわたしが知り得た情報は、ほとんどが毎日医事科に送られて来る伝票類と、カルテを通してのものだった。入院時、彼は一人の力で食事をとり、薬をのみ、歩いて外来診察やトイレにいっていた。入院から1ヶ月後、彼は一人で食事をとることも、薬をのむことも、歩いて診察に行くこともできなくなった。その代わり、身体に一本、一本、命をつなぎとめる管を増やしていった。わたしのところに来る伝票は、日増しに多くなっていった。手術伝票、注射伝票、処置伝票、検査伝票、レントゲン伝票、他の患者の何倍もの量の伝票だった。入院時から2ヶ月目、診察にかかる科は5つを超えた。彼は外科から耳鼻科へ、耳鼻科から整形外科へ、整形外科から内科へと短い間にあちこちの病棟へ転科転室を繰返していた。そして彼は、春先になくなった。
最後の彼の一週間分の処置伝票は、黒い文字で埋め尽くされていた。ありとあらゆる処置を施されていた。切開、縫合、酸素吸入、カニューレ管挿入、心臓マッサージ、わたしは看護婦さんの『死亡退院されます』という電話越しの声を聞きながら、数々の救命処置を施された冷たい彼の身体を頭に描いた。
 初めてFさんの姿を見たのは、地下室の廊下だった。ストレッチャーに横たわったFさんは、そのまま霊安室の向こうへと消えていった。泣いているのは、Fさんではなく、彼の遺族の人たちだった。痛みに叫んでいるのは、Fさんではなく、彼の遺族だった。Fさんは、ただ静かに眠っていた。
 彼が退院してからも、わたしは残された入院費の伝票整理に追われた。Fさんの病室には、また新しい患者が入院してきた。それなのにヒステリックな処置伝票は、いつまで経っても片付かなかった。また霊安室へと向かうヒステリックな泣き声も、いつまで経ってもわたしの鼓膜から消え去らず、わたしを困らせた。
 数カ月後、わたしは墓場を歩いていた。鼓膜に残っていた泣き声や伝票はその場に漂う深い沈黙に吸い取られていった。その時になって、わたしは墓場を歩けなかった恐れの本当の正体が、何であるのか気付いたのだった。そこにある沈黙が飲み込もうとしていたのは、わたしでも、生者でもなかった。

 

文:ナオコ

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